朝香宮邸(現庭園美術館)に使われている木
アールデコの建築として有名な旧浅香宮邸、現庭園美術館が約2年の歳月を経てリニューアルオープンしました。この間工事に平行して家具道具室内史学会修復部会のメンバーとして調査したレポートを簡単ですがご案内します。
1933年(昭和8年)に芝白金に建設された浅香宮邸は1910~1930年代にかけて隆盛した装飾様式のアールデコを採用した非常に艶やかなモダン建築で、第二次世界大戦前のパリが芸術の都と言われ世界の中心であったこの時期、明治開国以来欧化を目指した日本において実現された非常に歴史的価値の高い建築である。設計・管理は宮内省内匠寮工務課であるが主要パブリックスペースはフランス人装飾美術家アンリ・ラパン(実現にあたって来日はしてない)によるもの。竣工10年前に見舞われた関東大震災の影響もあって、当時としては最先端の鉄筋コンクリート作りで、以前 単身渡欧していた建築主 朝香宮鳩彦王の意向もあってか、和室・和館が設置されていない事が非常に大きな特徴である。通常木材を使った名建築というと奈良・京都に見られる社寺仏閣、桂離宮など構造そのものが木造で、使われる樹種も杉・檜など針葉樹が主であるのに対し、朝香宮邸では内装材(構造の役割を持たない)として自由に使われる事によってそれまで見る事の無かった世界中の様々な木材が要所に使われる事になった。
まず、この建物に入ると目に入るのはルネ・ラリックの正面玄関のガラス扉やシャンデリア、その他様々な装飾類なのですが、その美しさに心を奪われるのは程々にして使われている木材に目を通してみると沢山の発見がみえて来るのです。
1F大広間のウォールナットの壁面は幅広の突き板をブックマッチに貼り広間全体に落ち着いた重厚感を出しています。横浜港に係留されている氷川丸(竣工1930年 設計はマルク・シモン /フランスの主たる客船の室内設計者)の一等サロンにその先例を見る事ができるのですが、このような木材の使い方を宮家の邸宅で試みたのは初めてであると思われます。
次に入る大客室では、大きなドアやガラスを支える大断面の枠類に 狂いの最も少なく 環境の変化にも強いチークをふんだんに使い 隣の大広間のウォールナットとは異なる空間を演出している。チークを使用した例は明治43年に作られた6号御料車(天皇が乗られる客車 明治村で公開)の外壁に漆塗りのチークが使われ始めているのですが、客室全体は桑や欅など純日本産の材料で作られています。さらなる驚きはずっと近くによって見ると縮み杢の入ったチークなのです。
また、下の写真からわかる様に幅木が縞黒檀かインド・ローズウッドが貼り巡らされている。築80年ともなると経年変化により実際に削ってみないと断定できないのですが、いずれにしても現在はレッド・データーになっているもので、その木の一番いい部分を幅木に使用している事に驚きを隠せないのでした。
これらの事から見えて来るのは昭和初期に使われた木材の多様性です。木材は石油や他の天然資源同様 有限で、当時の国力や地政学的なものを反映します。フランス産と思われるウォールナットはもちろん、インドやインドネシアの南洋材、また当時欧米に向けて盛んに輸出された北海道産の楢など日本が資本主義国家として成長して行く過程で集められた選りすぐりの木材は朝香宮邸という建築の細部を見るだけでも時代性を感じさせてくれるのです。宮家という権力構造は敗戦により解体されるのですが、ある意味権力者であるからこそ成し遂げられた美しさと、つぎ込まれた労力、そこに読み解かれる時間があります。室内にちりばめられたもの達は生活する時間の中でその由来や宇宙を語り出し、自分と外の世界の理解をもたらすのだと思うのです。 ”デザイナーズ”といった飾られた言葉によって目隠しされ、表層だけ似せられた外壁とプリントされた壁紙に囲まれて違和感無く生活している今日の状況より、私としては よっぽどリアリティーを感じさせてくれるのです。
参考文献
外材輸入の情勢と其封策 帝国森林舎 大正14年
北海道輸出木材之調査 小樽高等商業学校 大正5年
木材工業史話 宮原省久 木材新聞社 昭和25年